バッハといえば「音楽の父」とも呼ばれる、18世紀ドイツで活躍したバロック音楽の作曲家です。
小学校の音楽室や教科書で、名前や顔を見たことのある人も多いのではないでしょうか?
ピアノを習っている人のほとんどが、一度は弾くバッハのピアノ曲。
実は現代で演奏されているバッハのピアノ曲は、当時ピアノ用として作曲されたものではありませんでした。
バッハの時代には、ピアノ(現代)はまだ主流の楽器ではなく、チェンバロやクラヴィコードといった、現在では古楽器と呼ばれる楽器で演奏されることが多かったのです。
そのためバッハのクラヴィーア作品は主に、チェンバロやクラヴィコードのために作曲されています。
そんなバッハと鍵盤楽器、ピアノとの関わりについてを今回はご紹介いたします!
バッハについて

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)は、1685年にドイツのアイゼナハという街で生まれます。バッハ一族は音楽家の一族で、幼い頃より音楽に囲まれて育ちました。
早くに両親を亡くし、教会オルガニストの長兄に引き取られたバッハは、彼から音楽教育を受けます。そして15才の頃から教会の合唱団の一員として活動をしながら、オルガニストのゲオルク・ベームに師事し、オルガン演奏を学んでいきます。
その後にバッハは教会のオルガニストに就任。オルガン曲をはじめ、クラヴィーア作品(鍵盤楽曲)、教会カンタータなどを作曲していくことになります。
1717年にアンハルト=ケーテン候の宮廷楽長という役職についてから、バッハはとくに有名な「ブランデンブルク協奏曲」 という協奏曲を作曲します。また多くの鍵盤楽曲も作曲しており、「インヴェンションとシンフォニア」や「平均律クラヴィーア曲集第1巻」、「イギリス組曲」、「フランス組曲」など、全てこの時期に作曲されました。
1723年から1750年に亡くなるまで、バッハはライプツィヒでトーマス教会のカントルという職につきます。カントルというのは、教会の音楽を取り仕切ったりする音楽監督であり、その付属小学校の教師としての役目や、ライプツィヒ市全体の音楽監督としての役割もある、当時は非常に重要で高い地位の仕事でした。
この時代にも、バッハは多数の教会カンタータを作曲しました。現在でも3,4月のイースターの時期には必ずヨーロッパで演奏される「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」 、クリスマスの風物詩でもある「クリスマス・オラトリオ」など、いまだに多くの人に愛されている教会音楽もこのライプツィヒで作曲されたのです。
バッハが一生で作曲した作品群は、現存するものだけでも1,000曲を超えるほど!
いかにバッハが並外れた才能の持ち主だったかが、よくわかります。
バッハと鍵盤楽器

バッハの時代、現代でいうピアノに代わってよく演奏されていたのは、チェンバロでした。(英語:ハープシコード、フランス語:クラヴサン)
ピアノは、フェルトで包まれたハンマーが弦を打つことで音がなる楽器ですが、チェンバロは鳥の羽軸(現在はプラスチックなど)で作られた爪が、細い弦を弾いて音を鳴らすため、撥弦楽器とも呼ばれます。
ルネサンス音楽からバロック音楽からにかけて、多くの音楽家に演奏されてきたのがこのチェンバロで、バッハもまた例外ではありませんでした。
バッハは著名なオルガニストでもあったので、オルガンやチェンバロのための作品を数多く残しています。
バッハとピアノ

Bartolomeo Cristofori Italian
現代に連なるピアノが発明されたのは、1700年代に入ってから。イタリアのメディチ家の楽器制作者であるクリストフォリが発明したと言われています。上記の写真はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されているクリストフォリのグランドピアノです。
ピアノというよりは、チェンバロに近い見た目ですが、実はチェンバロとは音を鳴らす方法が全く違います。それは楽器の内部をよく見てみると一目瞭然!

クリストフォリの発明したピアノは、まさに現代のピアノと同じようなハンマーによって弦を鳴らすシステムが組み込まれていました。
この楽器が発明された後、1730年代頃からドイツのジルバーマンというオルガン製作者がクリストフォリの初期のピアノを改良し始めます。
そこで同じドイツに住む作曲家であるバッハにアドバイスを求めます。
バッハは当初このピアノという楽器に批判的で、タッチが重く、高音域が弱いという意見を伝えます。
この意見を受けてジルバーマンは、さらに楽器を改良するためピアノ製作を進めます。その結果作り出されたジルバーマンのピアノは、音楽好きで有名なフリードリヒ二世に買い上げられ、ポツダムの宮廷で使われることになります。
バッハは1747年にポツダムを訪れた際にこのピアノを試して満足し、その後ジルバーマンのピアノの販売代理人の役割をしたことが分かっています。
1750年に亡くなったバッハは、この楽器のために曲は残していませんが、今に連なるピアノの開発にバッハも関わっていたのです。
バッハの有名な鍵盤楽曲

バッハはピアノ用として作曲したわけではありませんが、当時のチェンバロ用に作曲された曲を、現代ではピアノで演奏します。
なぜかというと、チェンバロという楽器が、当時と比べて現代ではあまり見かけなくなってしまい、気軽に演奏できる楽器ではなくなってしまったからです。それに引き換え、ピアノは小学校から家庭まで幅広く普及し、比較的親しみやすい楽器となっています。
同じ鍵盤楽器として、そしてバッハ以降の作曲家に多大な影響を与えたバッハの作品を勉強してロマン派の曲などに進んでいくことは、ピアノを勉強していくうえで、とても大切なことです。
今回はバッハの鍵盤楽曲からは絶対に外せない、有名なこの二作品をご紹介いたします。
「インヴェンションとシンフォニア Inventionen und Sinfonien BWV 772-801」は、ピアノを演奏するために必要な多くのことが学べることから、今なおピアノ学習の教材として世界中で広く演奏されています。
「平均律クラヴィーア曲集 Das Wohltemperierte Klavier」は、1巻と2巻からなっています。24もの全ての調性の前奏曲(Preludium)とフーガ(Fuga)から構成され、ある程度ピアノを勉強していく人は必ず演奏することになる、重要な楽曲です。
勉強の教材としても優秀ながら、グレン・グールドをはじめ今でも様々なピアニストやチェンバリストがレコーディングを残したり、演奏会でのレパートリーとしています。
これほどまでに人々に愛され、現代まで演奏され続けていく曲集。
バッハの残した功績は素晴らしいものでした。