「ショパンとピアノ」ショパンが愛したプレイエルとは【作曲家とピアノ2】

ピアノ

ショパンは「ピアノの詩人」とも呼ばれる、ポーランド出身のロマン派を代表する作曲家です。

テレビのCMやBGM、映画やお店でかかっている音楽など、よくよく聞いてみるとショパンの音楽だった!ということは日常的によくあります。それほど色々な場所でショパンの音楽というのは浸透しています。

ショパンのどの曲かはわからなくても、ショパンの音楽を実際聞いてみると、これ知ってる!となる曲が多いことも、ショパンの特徴です。

そんな知らず知らずのうちに、よく耳にするショパン。

ピアノとは切っても切れない関係にあります。

今回はショパンとショパンの愛したピアノという楽器の関係についてご紹介いたします!

ショパンについて

出典:http://wydarzenia.o.pl/2010/09/chopin-ikonosfera-romantyzmu-muzeum-narodowe-warszawa/ary-scheffer-portret-fryderyka-chopina-1847/

フレデリック・ショパン(1810-49年)は、ワルシャワ近郊で生まれたポーランドの作曲家です。

ショパンは幼い頃より「モーツァツトの再来」とも呼ばれるほど、音楽的才能に満ち溢れていました。ワルシャワ音楽院で体系だった音楽を学び、素晴らしい成績で卒業することになります。

当時のポーランドはロシア、オーストリアやプロイセンに何度も国が分割されるなど、政治的に非常に不安定でした。ポーランドの国全体で独立運動の機運が高まり、1830年にはロシアからの独立を目指してポーランドの反乱が起こります。しかし1831年、独立運動はロシアに制圧され、ワルシャワ陥落が起こります。

シュトゥットガルトに滞在していたショパンはワルシャワ陥落の報を聞き、絶望の中に陥ります。この頃作曲されたのが、「革命」と呼ばれる「練習曲 Op.10 No.12」だったとも言われています。

愛国心の強いショパンは、ポーランドという国を愛し、彼の作曲する音楽にもポーランドの伝統的な舞曲である、マズルカやポロネーズなどをよく用いました。

その後パリへと赴いたショパン。当時もっともヨーロッパでも栄えていた文化都市のパリの社交界で、ショパンは様々な文化人と交流を持ち、終生この地で過ごすことになります。

ショパンは、音楽家ではリスト、ベルリオーズ、ベッリーニなど、画家のドラクロワや作家のジョルジュ・サンドなど様々な交友関係を持っていました。男装作家で有名なジョルジュ・サンドとは10年ほどに渡り交際を続け、その間も様々な作品を作曲します。パリでの彼らとの出会いはショパンに多大な影響を与えます。

39歳という若さで病によって命を落としたショパンですが、生涯で多くの作品を作曲し続けました。

ショパンといえばワルツ。誰もがどこかで聞いたことのある、ショパンの「子犬のワルツ」や「華麗なる大円舞曲」、そしてピアノを弾く人なら一度は弾いてみたい憧れの「幻想即興曲」など…ショパンのピアノ曲はどれも名曲と言っていいほど、今なお人々に愛されています。

またショパンは、当時としても珍しくピアノ曲ばかりを作曲しています。実は彼の全作品(オーケストラ曲や室内楽も含めて)にはピアノが用いられているのです!

ショパンの作品に影響を受けた作曲家は多くおり、今も人気のあるショパンのノクターンも後世の作曲家に影響を与えています。「夜想曲(ノクターン)」という形式はアイルランド出身の作曲家ジョン・フィールドが作ったと言われています。このノクターンをショパンは独自に発展させ、生涯で全21曲も作曲することになります。

ショパンとピアノ

プレイエルのピアノ

Piano collection in the Musical Instrument Museum, Brussels, Belgium.
Ignace Pleyel, Paris, 1831

ピアノを愛して止まなかったショパンですが、ショパン愛用の楽器として広く知られているのが、フランスのピアノ製作会社「プレイエル」のピアノです。

プレイエル社は、当時とても人気のピアノ製作会社で、1839年にはパリにある「サル・プレイエル」というコンサートホールも経営しています。(サル・プレイエルはいまだに現役のコンサートホールです!)

ショパンはこのサル・プレイエルで、パリで最初のコンサートを開き、大成功を収めるのです。

マヨルカ島での休暇にも、プレイエルのアップライトピアノをわざわざ輸送して、作曲に勤しみます。

ショパンはいつでもピアノに向かって作曲をしていたと言われています。

ショパンにとってピアノはなくてはならない楽器だったのです。

バッハの時代には、まだまだ改良が必要だったピアノという楽器。18世紀はピアノを打鍵するハンマーが硬く、音色もチェンバロに近く、音量も小さめでした。ショパンの活躍するロマン派の19世紀には、ピアノも改良を重ね楽器として大きな変化を遂げています。

この時代になり、ハンマーをフェルトなど柔らかいもので包み、当時流行していたロマンティックな表現に適した柔らかい音をピアノで表現できるようになっていました。

ショパンはパリにあるプレイエル社のピアノを気に入っていましたが、その理由は「ヴェールに包まれた響き、軽いタッチ」だったと言われています。

エラールのピアノ

Grand Pianoforte Érard ca. 1840
出典:https://www.metmuseum.org/art/collection/search/503046

プレイエルの次にショパンが気に入っていたのは、「エラール」のピアノ。エラールもフランスの製作者が作っていたピアノで、ハイドンをはじめ、ベートーヴェンやリスト、ラヴェルといった作曲家たちが所有していたことでも知られています。

エラールは、ダブルエスケープメントと呼ばれる機構を1821年に発明します。このシステムは、鍵盤が完全に上まで上がりきるのを待たないで音を出すことができる、当時では画期的なシステムでした。これによって、ピアノでトリルや反復音をより速く演奏できるようになります。

ショパンの有名なピアノ曲

First manuscript page of Chopin’s Grande valse brillante in E-flat major, Op. 18

ショパンはもともと彼自身がピアニストとして数々の演奏会を開いていたので、多くのピアノ曲を残しています。どの曲も非常に有名で、アマチュアからプロの演奏家まで、コンサートだけではなく、コンクールなどでもよく演奏されています。

今回はそんな中から2曲だけ選び、簡単にご紹介いたします。

「幻想ポロネーズ」は、1847年に作曲されたポロネーズ第7番です。ショパン晩年の傑作とも言われる、病床にあったショパンの作った大曲です。即興演奏の得意だったショパンならではの音楽で、即興的でポロネーズやノクターンなど様々な要素が混じり合った一曲となっています。

「バラード第4番」は、1842年ショパンの円熟期と言われる時代に作曲されました。ショパンは4曲のバラードを作曲していますが、番号通り最後に作曲されたバラードで、様々な作曲技法が使用されており、非常に演奏が難しい曲としても知られています。

まだまだショパンの名曲はたくさんあります!ぜひあなた好みのショパンのピアノ曲を見つけ出して欲しいと思います。

ピアノを習う人に、最終的に演奏したい憧れの曲として1番にあげられるのが、ショパンの作品です。初心者だからといって決して叶わない夢ではなく、きちんと練習を積み上げていけば必ず演奏できるようになります。

もしショパンに興味が出てきたら、ぜひご自身で憧れの一曲を演奏してみてはいかがでしょうか?

きっと素晴らしい演奏体験になるはずです!

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